セメント森

万物の存在は無意味か?


第2章 ある役者の嘘

 はい押さないで押さないで

 痛ぇ!足踏んでるぞ!

 おい!このカメラ、50ミリ付きっぱなしだぞ!ズームレンズ!

 ・・・ええ、もうすぐですから、締め切りには間に合わせます・・・はい・・・

 あんた、そこの帽子のあんた、もうちょっと頭下げてくんない?あんたの頭しか写んなくなっちゃう

 ほらー!押すなって!押すなよ!

 ただの野次馬はどっか行ってろ!

 マスコミだからって偉そうな口きくなよな・・・

 ・・・はい、こちら、病院玄関前です。本日、まさに癌と死闘を続けてきました・・・「死闘」ってまずいかな。・・・激闘にする?なんか表現明るすぎない?

   (キャーッ!)

 なんだ?

 なんか、変な音したな。

 飛びおり?冗談じゃないよ、そんなの見たくないよ。ほら、誰も気付いてないみたいじゃん、ほっとこうよ。どうせ後で報道の連中がやるよ。芸能の仕事じゃないよ。

 ・・・どうしようか、ねぇ、死闘の方が迫力はあるよね。「死」ったって、比喩だしさ。

 あと10秒でCMあけるよ!

 苦闘にしとく?苦闘・・・・・はい、こちら病院玄関前です。本日、癌と苦闘を続けてきました・・・あ、今、玄関ホールに姿を現しました、花束を渡しているのは担当の看護婦の方でしょうか、御覧ください、あの笑顔、2年前に同じこの玄関前で休業宣言をした時の痩せて険しかった表情からは想像できないような、穏やかな顔です。あ、いよいよ出ていらっしゃいました、では・・・まずは退院おめでとうございます!

 いやいや、ありがとう。こんなにたくさんの方が集ってくださるとは。ははは。警察の方も、警備、ご苦労様です。

   待ってたよーっ

   こっち向いてぇ!

 もうすっかり良くなられたんですか?

 ええ、この後何か月か、通院が必要なんですが、ま、仕事もセーブしながら徐々に始めていくつもりですので・・・それもこれも、先生方と、こうして私を待っていてくださったファンの方々のおかげですね。

 正直、もうダメだと思われたことは・・・

 いえ、ありませんね。2年前もこの場で申し上げた通り、いまや癌は治る病気だということを、メディアを通じて皆さん、特に同じ病気で消沈している人たちに訴えたかった。その当の私が「もうダメ」なんて考えていたら、私は嘘をついていることになってしまいます。それに「もうダメだ」と思っていたら、こうして再び皆さんとお会いできたかどうか。

 病は気から、ということでしょうか?

 月並みな表現ですが、そうかもしれません、気持ちは病気の大きなファクターでしょうね。「病気」というのも「気」が「病む」と書きますからね。

 入院前の離婚騒動といい、受難の3年間、という感じでしたが・・・

 うーん、そうですね。まあ、離婚については私に原因があったわけですから、いたしかたなかったと思ってます。病気の方は、こうして退院できて、皆さんにこうして迎えていただいてることを考えれば、受難というよりもこれからの役者人生の新しい幕開け、その前奏曲だったのかもしれませんね。

 復帰されたという今日のニュースの次に、ファンの方が一番知りたいと思うのは、今おっしゃった幕開け、つまり今後のお仕事についてだと・・・

 え、とりあえずはいくつか、トーク番組の方に顔を出させていただけるようなので、その辺りから、という感じですね。約束通り病魔を克服したことのご報告という形になりますが。その後は・・・実は・・・あ、おい、あの話はもう出してもいいのか?

 はい、共演の方もほぼ決まりましたので。

 共演、ということは、つまり・・・

 ええ、映画なんですけどね。

 いよいよ銀幕復帰というわけですね?

 まぁ、そういうことになりますか。

 たしか映画は「サラリーマン物語3」以来15年ぶりですよね?

 はっはっはっ・・・そんなになりますか・・・

 ええ、15年ぶりです。私がまだ高校2年生の頃でしたから。長かったですねぇ。

 ・・・はっはっはっ・・・えー、まぁ、とにかく、映画です。実は脚本から手掛けていましてね。いやいやお恥ずかしい。ちょうど入院して半年目、退院した後の目標を持とうと思って企画したんです。今回の闘病生活に基づいた話なんですがね。脚本と主演をね。監督も、ね。

 じゃあ、入院から退院までの感動巨篇ですね?最後はやっぱり主人公が元気に退院するという?

 えー、その辺は見てのお楽しみということで・・・

 でも主人公が最後に死んじゃったら、まずいですよねぇ、「お楽しみ」っていう表現もどんなもんかなぁ、この場合。

 あー、君ねぇ・・・

 はい、申し訳ありませんが、病院の玄関先ですし、本人もまだ疲れが取れておりませんので、本日はこの辺りで。映画の件につきましては、後日、改めて製作発表記者会見を用意させていただきます。はい、すみません、通していただけますか?はい、はい、はいすみません

 では皆さん、また会見でお会いしましょう。

 ・・・病院前から退院・復帰宣言の模様をお伝えしました。

 今、終わりました。病院のロビーですぐ書きます。はい、ええ。4時には。

 なぁ、さっきの悲鳴・・・

 早く局に戻って編集しなきゃなんだからさ、気にすんなよ。

   握手して、握手!

   サインー、これにサイン!

 はいはい、すみませんね、通してください。車、あれです。

 なんだ、軽じゃないか・・・ハイヤーくらい呼べなかったのか。みっともない。

 すみません。こっちのが安上がりなんで。

 サインください!

 あ、君、ご苦労さん。もういいよ。後で事務所の方に来てね。5時くらい。はい、車出していいよ

 なんだ、ファンにご苦労さんって。

 ファンじゃありませんよ。1時間2000円もしたんだから。

 ・・・サクラか。俺のファンにしちゃぁ若いのが多いと思ったんだ。なんだサクラか。

 2000円を20人じゃハイヤーもあったもんじゃありませんよ。復帰だから、すこしは賑やかにしとかないとと思ったんだけど・・・確かに賑やかにしすぎましたかね。あんな若いのがあんたにサインや握手はねだらないもんね。警備もやりすぎだったかな。制服の貸衣装だけでも結構したからな・・・。あぁ、これ、ウチの息子。免許取り立てで運転したい時期でしてね。

 んちはぁ。

 こんにちは。運転ご苦労さん。・・・おい、口は堅いんだろうな・・・今の話・・・

 大丈夫ですって。あんたのイメージダウンはオヤジの収入減だった分かってますよ。なぁ。

 分かってるよ。

 あ、そう。ははは。うん。ところで、あの医者の方は大丈夫だろうな。

 あっちにも手は打ってあります。院長、あたしの高校時代の同級生だしね。トーク番組で病院の名前を出してやってくださいよ。あいつも喜ぶし、それにあんたが入院してたのが、あの病院だってことが表に出れば出るほど、向こうも「仮病で入院してるのを隠してました」とは言いだしにくくなる。関係者も少ないし、それぞれ弱みは握ってますから。

 お前、役者のマネージャより向いてる仕事があるんじゃないか?

 あんまり危ない橋は渡りたくありませんからね。芸能スキャンダルくらいならね。まぁ耐えられるかな、とね。それに芸能スキャンダルは、後で金になります。匿名で暴露本書くとかね。そのためにはあんたのマネージャでいて、ネタを集めるのがちょうどいい。

 お前、まさか・・・

 冗談ですよ

 ・・・・・・・・・。

 ・・・・・・・・・。

 真顔で言うな、怖いから。

 まぁ、我々は共同体みたいなものですから。あたしがヘマすりゃあんたはコケる、あんたが干からびりゃ、あたしも・・・

 ・・・暴露本書くんだろ?

 ・・・冗談だって言ったでしょ?あんたのためにどれだけ気を遣ってるか。ほら、これ見てくださいよ。

 なんだ、この子どもが書いたような、のたくった字は。

 昨日、各マスコミにFAXで届いたんだそうですよ。ちょうど玄関と反対側の駐車場の方に集まれと書いてある。

 「ちきゅうを・・・きれい・・・にするぞ・・・ぼくがそのだい1歩だ。マスコミのひとはきちんとホウドウするように」・・・ゴミ拾いでもするつもりか?このガキは。

 さあ。まぁ、あんたの退院に時刻を合わせて、玄関の裏側にマスコミを引っ張ろうとしたんでしょう。

 それにしても・・・タイトルが「声めい文」てのは・・・

 映画の世界でも「子どもと動物にはかなわない」っていうでしょ?それでわざと子どもが書いたようにしたんですよ。まったく、どこの事務所の謀ったことだか。

 俺もまだライバル視されてるってことだな。ははは。

 笑ってる場合じゃないですよ。これを回収するのが大変だったんだ。まぁ、どこも殆ど、ゴミ箱行きだったみたいですけどね。とにかく、あんたにはこれから本気で仕事をしてもらわないと。すぐに落とされちゃいますよ。なんせ2年もブランクあるんだから。はい、これ、映画の脚本。最終稿です。

 あぁ、出来たのか。で、結末はどうなった?別れた女房は?

 テレビで主人公が退院するニュースを見て、嬉し涙を浮かべてるとこで、今の旦那との子どもがベビーベッドでぐずり始める。それを自分も泣きながらあやす。それで先妻の出番は終わり。

 復縁するって筋はやめたのか?

 退院してから復縁じゃあ、ムシが良いですよ。ライターもそう言ってました。ウチの女房、それ読んで泣いてましたよ。

 じゃあ、入院してる最中に復縁すりゃあいいだろう。

 癌でもう死ぬって男と復縁するなんて、それこそムシが良すぎです。遺産狙いみたいで。観客もそう思うんじゃないですか?

 ばか、世間にそう思われても、最後はこの「俺」の側で力になりたいってのが本当の愛だろ?そこが涙を誘うんだよ。その愛が俺を癒すんだよ。

 ・・・あんたが実生活で別れた奥さんへの当てつけにしようと?

 ・・・そう思われるかな。

 そう思うでしょう。誰だって。今のエンディングの方が潔いと思われますよ。

 ・・・じゃ、いいや。これで。とにかく「俺が書いた」この脚本を、俺が監督して、俺が主演するってとこに意味があるんだからな。そのために2年もあの狭い隔離室みたいなとこで過ごしたんだ。この復帰劇を感動的な話題作にするために・・・。長かった・・・長かったよ、2年。

 内情を知ってると、とんだ茶番ですがね。本当の癌患者がこれを知ったら・・・

 茶番?冗談言うな。役者魂だよ。役作りの延長。観客は「本当の癌患者」だった俺と、スクリーンの俺を完全にダブらせて見るんだ。だから感動を与えられるんだ。演技だけじゃない何かを見いだすんだよ。

 演技だけで感動させられれば、そんな必要ないでしょう?

 それじゃ普通の映画だ。今年のベストワンになっても来年には忘れられちまうだろう。だから付加価値が必要なんだ。観客の心に一生、この映画を印象づけるために。嘘でもこれが人々に勇気を与えられたら・・・

 本気で言ってます?

 ・・・半分は。

 半分ねぇ。

 ・・・本当のことなんて、分かりゃしないさ。分かりたくもないさ。上っ面だけ見て、それで喜ぶんならそれでいいさ。考えてみりゃ、上っ面以上のことなんて、誰にも分かりゃしないのさ。死ぬまで・・・いや、死んでもかな。

(つづく)

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